最終更新日: 2020/04/21

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今どきの小物インフルエンサーにきーつけや?①

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今日は、日頃から僕が抱いている資本主義の限界について話していきたいと思います。
まず、最初に資本主義の根幹にあるのは個人の責任は個人で完結するという事だと思うのですが、現在のようにルールチェンジが行われる過渡期に関して99%の方がルールが変わっていく事に気づけていないという問題をどのように解決していくのかに非常に懸念を持っています。

現在の社会の実情として顕著化している事の一つに共感経済が発達した弊害でもあり、恩恵でもあるのですが、国・企業に帰属しない個人が自由に発信するチャンネルを持てるようになった事により、国・企業・老害・慣例・常識に囚われることなく自分が信じたことを発信し、それを受け取った人が自己責任で判断する機会が増え、それに伴って影響力を本来持つべきではない個人やグループが多数現れた事だ。

実際問題、テレビが主流になった時代、ゲームが一般家庭に普及した時代、ポケベルが、携帯電話が、ネットが、スマートフォンがと様々な異常な速度の変化を過去経験してきた現代人であるし、3世代に渡ってその変化に注目してきたはずである。

実際に様々な変化に対して当時の大人世代は新たに生まれてきた文化に対して非常に嫌悪感を最初は示し、拒絶してきたが浸透する速度とパワーに許容せざる負えなくなり、ネットなどに子供の頃から慣れ親しんだ世代が大人になった現在ではネット抜きにして何も語れない時代へと移り変わってきた。

それと同様に今来ている変化を本当に我々は許容してしまっていいのだろうか?
と、話すとただの頑固じじいの様で本当に自分でもウンザリするのだが、日本の教育制度の問題や日本の将来悲観論など長い間日本は失われた20年などと言われ、諦めムードの中生きてきており、何故か資本主義の根幹である「個人の責任は個人で完結する」という大前提を忘れ、親のせい、パートナーのせい、他人のせい、会社のせい、地域のせい、国のせいにして他責することで自分の今の許容しがたい現状に何らかの妥協をすることをヘタに上手になってしまったのではないだろうか?

このような悲観的ムードをある意味ぶっ壊したのが、ホリエモンこと堀江貴文さんで、オンザエッジで上場を果たし、メディアに取り上げられて以降やんややんやと本人の努力もあり、時代の寵児ともてはやされ、その当時の大人との対峙する姿に自分を重ねておられた方は多いのではないだろうか?

が、しかし一連の騒動の後の逮捕劇によって、やはり長い者には巻かれろ的な思想と堀江貴文さんの戦う姿に影響を受けた人々に分かれて様々な人生を過ごしてきた10数年が過ぎた現在、ミニ堀江貴文的なインフルエンサーが多数生まれたとも言えませんか?

しかし、堀江貴文さんは世の中の本質的な部分はしっかり踏まえた上での発信と敢えて踏まえていない発信をウマく使い分けており、初代インフルエンサーとしての貫禄と妙技を併せ持っており、影響力の大きさ故に逆に影響力から見放されている感もあり、一般人も含めて堀江貴文さんをエンターティナーとして楽しめている。
コレはコレで問題ないと思えてきたのだが、その下に無数にいる小物インフルエンサーは
非常に実害を放ちまくっている。

例えば、アフェリエイターやブロガー、ユーチューバーとしてたった数年程度の実績を盾に会社に所属する事を社畜だとして煽り、フリーランス、個人事業者として起業しない奴はバカだアホだと煽り倒す詐欺師同然の輩が増えてきており、結局それを発信するのは信念で発信している訳ではなく、ただ単に小銭を稼ぎたいが為の煽りなのだから質が悪い。

コレは、時代の大きな変化が起きる過渡期に許してはいけない行為であると僕は思っている。

一定数、影響力がある事を認識しているにも関わらず、小銭を稼ぎたいが為に、そんな責任のとれない発言を繰り返すのは詐欺と言わずしてなんと形容するべきなのだろうか?

よく詐欺まがいの発言として聞こえてくるのは、プログラマーしかないやろ?的な発言や会社に所属するより自分のビジネスを販売しろ的な発言で、一体それに踊ってしまった人の何%が満足いく結果を生み出せたのだろうか?

おそらく9割以上の人は自己責任とはいえ、より辛い環境に陥ったのではないだろうか?
しかもプログラマーは一過性でしか稼げない仕事で、この大きな変化が来る過渡期に急いでこの先の未来に備える準備もせずに取得すべきスキルではありません。